中間くんを好きな気持ちを辿ってみたら、全然関係ない話になった。

中間さんへの好きが爆発して、時々たまらなく死にたくなる時がある。言葉は悪いが、死ぬ気はない。でも、そんな感覚に陥ると、恥ずかしさも生まれる。そして、とても怖くなる。好きの感覚が。気軽に会うこともできないし、何かを投げかけたとしても、返ってくることもない。そんな人を気軽に好きになってしまう感覚が怖い。けれど、こんな感情は丸山さん以来だな、とも思った。

2011年の夏に何がきっかけだったのかも思い出せないが、丸山さんが好きで好きで堪らなくなったときがある。多分、なんとなくその時の自分の歯車に合ったとか、そんな感じだと思う。好きな人に出会った際、ビビッと来たとよく表現されるが多分そんな感じだと思う。その時は既に錦戸さんの担当をしていたがそのような感覚で応援はしていなかった。全く別物の好きの感覚が私を襲って埋め尽くした。そんな感情にとても戸惑った覚えがある。好きで好きで、堪らないのだ。この気持ちを直接伝えたいとさえ思った。正直、自分でも気味が悪いなと思っていた。
けれど、そんな感覚も2ヶ月ほど経てば、すうっと収まっていったのだ。一時の高揚とした気持ちは、何事もなかったかのように、綺麗に収まっていった。それでは、今はどうだろうかと考えてみると、そんな好きの感覚がかれこれ一年半ほど続いている。今、簡単に計算してみて、思っていたよりも時間が経っていることに驚き、絶望している所だ。
 
初めて中間さんが出演している舞台を観劇したのは「なにわともあれ、ほんまにありがとう」だ。終わったあと、一気に好きが募るような、それでいて崖から突き落とされたかのような"堕ちる"という感覚を味わった。友達に連れられ、なんとなく観劇しに行ったにも関わらず、舞台が終われば簡単に好きになっていた。圧倒的なアイドル感にいつの間にか心奪われていた。それでも、この中間さんを好きな気持ちもきっと、丸山さんの時のように、いつの間にか収まり消えていくものだと当時思っていた。それだから、関ジャニ∞ジャニーズWESTを並行して応援することにした。担当は錦戸さんというスタンスで。
 
その後、忍ジャニの舞台挨拶やzepp東京で行われたデビューイベントにも行ってみた。担当は錦戸さんというスタンスで。そしてその年、10周年を迎えた関ジャニ∞は十祭を行い、私は味の素スタジアムに訪れた。涙を流して楽しんだ記憶がある。担当は錦戸さんというスタンスで。そこまでは精神的に、とても安定していた気がする。それが8月上旬。
 
そして、8月末にジャニーズwestの1stアルバムのリリースパーティー「皆様のおかげSummerCarnival‼︎」に参加してきた。その現場から、だいぶ心がぐらぐらし始めた記憶だ。ヲタクをしていて初めて横浜アリーナを目指す事になる。行き方に苦労しながらも、初めての地にとてもワクワクしていた。席に着きしばらくすれば暗転となり、大音量と共に7人が登場した。このときも担当は錦戸さんというスタンスで来ていた。アルバムも二つ買い、ちゃっかりとそこに座っていたというのに、俯瞰していたと思う。部外者の気分でいたと思う。中間くんの笑顔の張り付いた団扇を振っていたというのに。関ジャニ∞にはまだまだ劣るなとかさえ思っていた気がする。けれど、とっても楽しかったのだ。知っている曲ばかりで、一緒に歌って踊って。気付かぬうちに、一体感に呑まれていった。
初めて行ったジャニーズwestの現場で私が知っている曲は「ええじゃないか」ただ一つだった。知識も無く現場に行くことで後悔するという経験を初めてした。だからこそ今回は、アルバム曲を沢山聴いてきた。それが楽しくて仕方がなかったのだ。キラキラアイドルの中間さんが見える度、どうしようもないトキメキを必死に抑えていた。部外者だから。部外者に徹していたかったから。担当は錦戸さんだから。
それなのに、桐山くんと、重岡くんの誕生日のお祝いをした。部外者なのに、お祝いの席に参加することになってしまった。重岡くんと桐山くんが各々コメントを言う中で、涙を堪える桐山くんを見て、そうだよねそうだよね、と私まで涙を堪えるしかなかった。「辛かってんもん」と言う桐山くんの言葉に、その年のカウントダウンコンサートの風景を思い出した人も少なくはなかったのではないだろうか。関西ジャニーズjrを、なんとなくしか知らなかった私でさえ胸が苦しくなる風景だった。その後、桐山くんが前置きのように「他のグループを応援している人もこの中にいると思う」と言った気がする。こればかりはメモも無く、一年以上も前の一般人の記憶能力なので間違えていたら申し訳ない。けれど、その時にグサグサと、何かが胸に突き刺すような心地がした。もうそんな事を言わせたくない、このグループをちゃんと応援したいと思ったのだ。気持ちがぐらぐらと揺らいだ瞬間だった。帰りの電車に乗りながら胸張って中間担と名乗りたいな、と思った事は、はっきりと覚えている。帰りはいつも以上にぼーっと腑抜けていたと思う。
 
けれど、踏ん切りはなかなかつかなかった。中間担と名乗りたいとは思ったけれど、錦戸担と名乗る事をやめる事を躊躇った。散々、ジャニーズwestに揺れていたのに、いざ降りるとなった時、「大切なものがそうじゃなくなるとか、大好きなものを嫌いになるとかそんなことないなんて歩きながら考えた」と大好きな歌の歌詞が浮かんでしまった。
よく分からないスタンスのまま、精神的にも不安定なまま「台風n Dreammer」を観劇した。今思えばこの時に確実に堕ちたんだろうなと思う。「なにわともわれ、ほんまにありがとう」で好きという気持ちが生まれ、崖から落とされたものの、ギリギリの所で岩でも掴んでいたんだと思う。それまでは。しかし、タイミングとは恐ろしいと思う。前から3列目の席に座れる事になった。驚きの近さである。
その日、中間さんにファンサ処女を奪われた。それまでは、自分がコンサートに行けるだけで満足できる種類の人間だと思っていた。良い席に入れた試しもないし、多くを望むものではないと思っていた。けれど、ファンサを貰う幸せを知ってしまったのだ。見れるだけで満足だった人に、構ってもらいたい感情がむくむくと現れた。
 
それから「ジパングおおきに大作戦/夢を抱きしめて」が10/8「言ったじゃないか/clover」は10/15に発売する事になった。当初はどれも予約をしていた。ジャニーズWESTは4枚関ジャニ∞は3枚合わせて7枚だ。ちなみに、予約した日はちょうど、私が「台風n Dreamer」を初めて観劇する日で、日生劇場に向かう途中だった。加えて、ファンサ処女喪失の日でもある。結局、15日を過ぎて手元にあったCDは4枚だけであった。アルバムのFTOを買い始めてから、欠かさず買っていた個人的な習慣はその時をもって、打ち切られた。
それから私が完全に中間担になれたかというと、その答えはNoだ。12月の「関ジャニズム」に3日間東京ドームにお世話になっている。自分でもここまで纏めていて、なんやねん!結局どっちやねん!とツッコミたくなる。本当に本当に未練タラタラで笑ってしまう。嫌いでもないものを捨てる決心はなかなかできないのだった。しかし、私は関ジャニズムに入る前に、今でも後悔するほど愚かで清々しい事をしている。
 
例えばの話だが、服屋さんに行って欲しい服を二つ見つけたとする。一つだけ買うとしたらどちらにしようか悩んでみたりする。そんな状況に陥ると、私は決まってどっちも要らなくなって、服屋を後にするのだ。考える事を放棄するのだ。今回も例外ではなかったらしい。
11月の中頃に今まで集めていたCDに、写真にパンフにポスター、団扇にその他諸々。家にあるだけのグッズを売りに出したり、人に譲ったりした。ここまで来て、担当制度に悩む事が面倒になってしまったんだと思う。馬鹿だ。本当に馬鹿だと思う。掛け持ちするという頭は私には無かった。しっかりとグループを追いきれないのに、担当を名乗るのは違う、というのが私の個人的な担当論だ。私が時間にもお金にも余裕がある人だったらきっと掛け持ちを選んでいたかもしれない。ちなみに、グッズを売って一番後悔した瞬間第1位は、パソコンが壊れて今までの曲が全部消えてしまった時だ。あの時は流石にへこんだ。アルバムは借りる事はできても、シングルは借りる事ができない………まあでも、そうやって、後悔が押し寄せた時は、ジャニーズWESTのデビュー曲を聴いて、まあいっか!って思う事にしている。残念な気持ちの6割ぐらいは救われる。
 
だいぶ話が逸れてしまった。話を戻すと関ジャニズムの3日間はとても楽しかった。人生で初めて、東京ドームのアリーナ席というものに入れた。しかも花横だ。分かりやすく、少女マンガ脳を持ち合わせているので、これはエイトが離れるなと言っている!なんて一瞬でも思った気がする。しかし、これがジャニーズの最後の現場だと思っていた。周りの友人にも言いふらしていた。しかし結局止められなかった今現在、会うたび「あれ?ヲタク辞めるんじゃなかったの?」と揶揄われている。でもずっと夢見てたアリーナも入れたし、ヲタク人生に悔いはないとその時は心底思っていた。
それから2月頭ぐらいまで記憶がない。多分記憶を抹消しているんだと思う。一月いっぱいは毎年テスト期間なので、この時期は人として一番機能していない期間でもある。もちろん、1月にあった舞台「なにわ侍 団五郎一座」には入れていない。
 
こんな感じで生きていたら自然とヲタ卒ができる気がしていた。それなのに、私は2月にちゃんと「ズンドコパラダイス」を購入している。そして、淳子さんに再び湧くことになる。そのあと、譲って頂いたチケットで「ブラッドブラザーズ」も観劇している。それに、今使用しているジャニーズWESTのアカウントを取得したのも2015/2/4のズンドコが発売される前だ。ヲタクをやる気満々どころの話ではない。どこからどう見ても、ヲタクを辞める人の行動ではない。ジャニーズは沼だ、と簡単には言いたくないけれど、一度ハマってしまったら中々抜け出せないものである事は身をもって体感した。
 
こういう話を書くつもりも無かったもんだから明確な担降りした理由が分からないのだ。悩みに悩んでいた事は間違いないのだが、結局大切な所はメモもしていない。最後の最後に気を抜き、全部パーにしてしまう事が多い私らしいと言えば私らしいのかもしれない。しかし、2015/3/5の手帳に「担降りしました〜」とだけ書いてあった。軽率すぎる。ここまで悩んできたのに、何をもって担降りを決めたのか私にも記憶がない。3月5日のジャニーズWEST事の記録がある人が居たら教えて欲しい。多分私の予想では、特に何も無かったんだと思う。やっぱりなんとなく、突然好きな気持ちが湧き出てきて、結局は中間さんに降りたんだと思う。
担当制度なんてただの好きな人宣言に変わりないのに、どうしてここまで悩んだんだと、今では不思議に思う。しかし、担降りを決め周りにも宣言してからは、精神的にとても安定した。好きという感情は形すら無いけれど、ヲタクの体の中では莫大なエネルギーを秘め、様々な方向にベクトルが向いているのだろう。楽しくも面倒で愛しい、不思議な文化に囚われている。
現在の状況を簡単に説明すると、2015年は「パリピポ」にも「リサイタル」にも行った。今後の予定も、冬の関ジャニ∞のツアーには1日だけ申し込みをしている。前までは行ける日程は全て行かないと気が済まなかったのに、一回で良いやと思えるようになった。最近ジャニーズWESTのコンサートも発表されたが、テスト期間の魔の1月に被らない所はできる限り行きたいとは思っている。徐々に比重はジャニーズWESTへと移りつつある。5,6個あったアカウントも今では、ジャニーズWESTのアカウントのみが残っている。
 
最後まで何が言いたかったのか不明で分かりづらいが、私は中間淳太さんが大好きだ。明確な好きの理由を探している途中だが、とりあえず大好きで仕方がない。もちろん錦戸さんも好きだ。またまた話は逸れるが、前まで錦戸さんには早く結婚して貰いたいと考えていた。それが自分のアイドルへの本心だと信じていた。けれど今、中間さんが結婚したらと考えてみると、落ち込む事は目に見えている。分かりやすく好きの形が変わったんだなと思った。「好きに理由なんてない」というのがアイドルに通用するのか分からないけれど、ずっと直感や感覚で生きてきたから、これからもそうやって応援していくんだと思う。
 
「あああ、好き」と身悶えるような思いに陥る事が最近多くなったので、その事について書いてみたかったのに、明確な理由もない担降り記事になってしまった。ただの私の一年の振り返りだ。好きの形を変えた今、これからどんな風にヲタ活をしていくのかは個人的に興味がある。しかし、リア恋になりつつある、この好きをどう対処すべきか私には見当もつかない。現実を真っ当に見ている自分と、非現実的に中間さんを思う自分を、同じ器で飼っていることが、今の私の一番の悩みどころだ。いつになってもアイドルに悩み、喜怒哀楽をもとめているらしい。まあ、何を言っても「好きな気持ちには抗えない」が最終的なオチになってしまうが。また、もう降りる事は無いだろうな、と今のところは思っているけれど、好きの気持ちは突然現れるタイプの人間なので、他現場に参加させて貰う時は気を引き締めていこうと思う。
 
何にも関係は無いと思うが、いつから関ジャニ∞のCDを買わなくなったか、Wikipediaで調べてみた時に、「言ったじゃないか/clover」は関ジャニ∞がINFINITY RECORDSに移籍後の発売だと知った。感覚で生きている人間にとっては、なぜだか妙な運命のようなものを感じてしまった。